――世界は何故、滅びの道を
辿ったのか――
――それは、ヒトが己の傲慢さ
を思い知る為だ――
道とは呼べない雪の積もった道
を歩きながら、女は隣を歩く少年の挙動に目をやり、ふと考えを巡らす。
もう、何年前の出来事なのかも
覚えていない。誰が決めたのかもわからない世界の終焉が始まり、国などというものは関係なく世界は荒廃した。
ニ
ホン、と呼ばれていたこの国も例外ではなく。生物の姿が消えた所は至る所にあり、生活の場を追われた人間は他地域に比べて荒廃していない場所を選んで集
まった。しかし、辺りには力なく倒れ込む者、その日の食料を巡り争う者、それを横取りしようと企む者……、秩序などといった言葉を亡くした光景が広がって
いた。
「チサトお姉ちゃ〜ん、今日は
何処で寝るの〜?」
周囲に気を配りながら歩いてい
る矢先に、隣を歩いていたまだ年端のいっていない少年が女に声をかける。
深い緑色の髪に漆黒と翡翠の
オッドアイ。
切る事も無く伸ばされた髪は、
後ろで紐を用いて結わかれてはいる。しかし、声変わり前の少年特有の声色が、少女と間違えてしまいそうな彼を男だと証明している。
「昨日みたいに瓦礫の上はイヤ
だな……。今日はそのせいで体がギシギシ言ってるもん」
翡翠側の瞳を閉じ、少年は女に
微笑む。
それは、荒廃した世界には似合
わず。
余りにも――清純。
「……見つかれば、良いけど
ね」
チサト、と呼ばれた女は少年の
手を取り、少し段になっていた建物の残骸を乗り越えつつ返事をし、
自らのルート選択の過ちに気が
付いた。
「おっ?女にガキだぜ?!今日はついてんじゃねぇのか、俺ら!」
「ひょーっ!女もガキも中々の
上玉じゃんかよ!!割と服も良さ気だし、食い物も持ってんじゃねぇ
の?」
ガタイの良い男が、五、六人。
それも揃いに揃って、鉄パイプを持ち、厭らしい笑みを浮かべている。
深い溜息を吐いて着込んでいた
外套を緩めつつ、チサトは男たちに視線をやる。
「争いごとはしたくないのだけ
ど……、このまま通してはもらえないかしら?」
少年と同じように整えられてな
どいない黒髪をフードと一緒に無造作に払いながら、彼女は少年を自らの後ろに隠す。その口調は媚びる訳でもなく、ただ淡々としていて。
男達の感に触れるには、十分過
ぎたものだった。
「はぁ?!寝言は寝て言いやがれってんだよ!」
「痛い目見なきゃ、自分の立
場ってのがわかんねぇのか?」
喧々囂々と喚き、手にした武器を振り回す男
たちに向かって、チサトは小さく溜息を吐く。
それが、合図となった。
「てめぇ、馬鹿にすんのもいい
加減にしやがれッ!」
チサトに一番近い位置にいた男
が鉄パイプを振り上げ、彼女に向かって駆け寄る。
「創(はじめ)、隠れてなさ
い。終わったら出てきて良いから」
「はーい」
襲われている時にされる会話と
は思えないほど、二人の口調は和やかで。
創は言われた通りにチサトから
離れて、側の瓦礫に隠れ――
「死ね、この女っ!!」
――チサトは、軽く体を右に
捻って鉄パイプを避けた。そして、勢いあまってつんのめっている男のがら空きになった腹部目掛けて、左足を繰り出す。
「……遅い、わね」
ズン、という音と共に、体をく
の字に折り曲げて男が吹き飛んだ。
一撃で自分よりも体格のいい男
を吹き飛ばしても、平然とした顔でチサトは靡いた髪を払う。
「怪我をしたくなければ、おと
なしく通して欲しいって言ってるの。ご理解、頂けた?」
口調は相変わらずコレといった
感情もこもっていない声だが、それが男達をさらに逆上させた。
「いい気になんなよ!一人で何
が出来るってんだっ!!」
リーダー格と思われる一番体格
の良い男の言葉に応じ、周りにいた集団が手に持った鉄パイプを振りかざして一斉に動く。
「やっちまえッ!!」
「……ありきたりな台詞ね」
正面からまず二人。背後から来
る気配は無く、左右からは一人ずつ。
罵声を上げながら突っ込んでく
る正面の男達の攻撃を半歩後ろ下げる事でかわし、チサトは右から振り下ろされてくる鉄棒に対して姿勢を低く保ちながら駆け出した。
「なっ、早ッ!?」
慌てて振り下ろすが、そんな物
に当たる訳も無く。
男の懐に入り込み右足を一閃。
膝を鳩尾に叩き込み突っ伏さ
せ、そのまま背後に寄ってきていた男の攻撃を右に跳ぶことでかわし、がら空きになった側頭部を肘で打つ。
正面から来た男達は、チサトに
初撃を避けられていた為に追撃が遅れていた。
「……まだ続けるの?余り手加
減は出来ないのだけど」
着ている外套が動きに合わせて
はためき、目元にかかった髪を再び後ろになびかせながらチサトは男達を見る。
「うるせぇ!その減らず口、叩
きのめしてや――」
「お止めッ!!」
突然、男の癇声を掻き消す怒声
が辺りに響き渡った。その大音量に思わずチサトは耳を塞ぎ、創は眩暈にも似た感覚に陥る。チサトに向かって啖呵をきっていた男も頭を押さえ、怒声を上げた
人物に向かって怒鳴り声を張り上げた。
「っババア!いきなり出てきて
大声出してんじゃねぇ!」
「お黙りッ!喧嘩ふっかけん
なって普段から言ってんだろ、ユキヤ!!」
男の言葉に軽快な口調で切り返
す声の主は、瓦礫の中でも一番の高台に立っていた。
それは、杖を持った老婆であっ
た。
「見っとも無い真似すんじゃな
いよっ!力は弱者に振り上げるもんじゃないって言ってんだろうがッ!!」
腰が曲がり、白髪であるのが遠
目からでもわかる老婆は、さらに男達に向かって続ける。
「無駄な争いしてる暇があった
ら、少しはリフを見習って生き方について考えてみな!」
(……リフ……?)
人名にしても珍しい言葉に、チ
サトは老婆を見つめながらその名を脳裏に刻む。ふと男達を見ると、彼らはばつが悪そうに靴先を見つめて、雑言を漏らしている様だった。
「……オイ、女にガキ!今回の
所は邪魔が入ったからこのぐらいにしておいてやる!次に俺らの邪魔しやがったらただじゃおかねぇからな!」
舌打ちをしながらチサトを睨む
ユキヤと呼ばれた男は、それだけ言うと倒れていた男達を担いで瓦礫の影へと消えていった。
「僕達、何か邪魔しちゃったん
だねぇ?」
「捨て台詞、って言うの
よ……。あぁいうのは」
凹凸の激しい瓦礫の上から下り
て来た創にそう呟く。男達が完全にいなくなった気配を感じてから、チサトはようやく離れた位置にいた老婆に近づいていった。
「とりあえず、お礼を言いま
す。無駄な怪我人を出さずに済まさせて頂き、ありがとうございました」
雪が冷え固まって滑りやすく
なっている瓦礫の上を危なげなく歩きながら、チサトは老婆の前に立つ。
女性の平均よりも幾分か高いチ
サトより頭一つ分小さい老婆は、ちらつき始めた雪を見てフードを被りながら微笑んだ。
「何、悪いのはこっちの人間だ
からね。あんた達が気にする事は無いよ」
先程の啖呵から予想された通り
の、はつらつとした物言いで老婆は返し、その笑みと言葉に少し緊張を解いてチサトは尋ねた。
「先程のお言葉ですが、ここら
は集落を作っているのですか?」
世界が崩壊して生物の数は激減
したが、それでも人間は生き残っている。数が少なくなった彼らは、少数で集落を作ったり、旧世界ほどではないにしろ、町に似たような村落を設けたりもして
いるのだ。チサトと創(はじめ)も、既に小さな集落になら立ち寄った事が何度かあった。
「おぉ、そうだよ?で、あたし
がこのトオミの村の村長さ」
「村長さん?はじめましてー」
チサトに遅れて瓦礫を上ってき
た創が、老婆に対して微笑みながら頭を下げる。その仕草を見て更に笑みを強めると、老婆は創の頭を撫でながら今度はチサトに問いかけた。
「あんたら、旅でもしてるのか
い?ここいらは特に雪が激しくてね。これから更に降りそうだけど、泊まる当てはあるのかい?」
「いえ。それを探している最中
に先程の状況に見舞われまして……」
首を振りながら、無表情にチサ
トが返すと、老婆は何やら面白そうなものでも見つけた、とでもいわんばかりに笑みを深める。
「なら、どうだい?今日のとこ
ろは、雪も厳しくなってきそうだから、あたしんとこに来るってのは。何、あんたとこの子が気に入ったのさ」
信用するには余りにも条件が良
すぎ、チサトは少し眉根を寄せて断ろうとした、が。
「ホントに?!良いの!?」
大人しく老婆に頭を撫でられて
いた創が、その好条件に喰らいつきチサトを見やる。
「お姉ちゃん!久々に温かいと
こで寝られるよー!」
大きな瞳を極限まで細めながら
創が笑い、その表情を見て断る事は不可能であると、チサトは知る事になる。
「……それでは、お言葉に甘え
させていただくことにします……」
溜息交じりであった事を知るの
は、勿論吐いた当人だけである。
◆ ◆ ◆ ◆
◆
老婆に案内され、通された場所
は比較的損傷の少ない廃屋だった。いや、廃屋だったところに老婆が物を運び込んだので、既に住居としては成り立っている。
「そういえば、あんたらの名前
を聞いてなかったね。あらためて名乗ると、あたしはこのトオミの村の村長、ユイだ」
炭に火を点し、ユイと名乗った
老婆はチサトと創に座るように促すと、奥の方から乾物を持ってきた。
「ニワカネズミの干物だよ。こ
こらは多くてね。食べ物にゃ余り困ってないんだ」
環境と共に変化していく動物。
中でも弱者はその生態系をあっという間に変えていく。ユイが差し出してきたのも、名前の似合わない、犬ほどの大きさを持った新種生物の一部を干したもの
だ。
見た目は余り頂けそうも無いも
のだが、眉一つ動かさずにチサトは受け取る。それに習って創もユイから干物を受け取った。
「……チサト、と言います。こ
の子は創。西は比較的過ごし易いと聞いているので、西に向かって旅をしています」
感情の乗っていない口調で、チ
サトはユイに名を明かし、乾物に口を付けた。
「……固い、ですね……」
噛もうとしても歯が立たないほ
どに固く、その様子を見たユイは声を上げて笑う。
「さっきまで外にあったような
もんだからね。それは火の傍において少し炙った方が美味いもんだよ」
「そうですか……」
別段しかめ面をするわけでもな
く、チサトは言われた通りに代物を火の傍に立てておくと、視線だけを周囲に動かす。その仕草を見て何事か察したらしく、ユイが口を開いた。
「あんた、癇が良さそうだから
あらかじめ紹介しておこうか……。リフ!ちょっとおいでっ!」
そう言うと、ユイは自分の座っ
ている位置から更に奥の方に向かって声をかける。どうやら、まだこの老婆以外に住んでいる者がいるようだ。
(リフ……。さっき出てきた名
前ね……)
チサトは、表情にはおくびも出
さずユイの出した名前を念頭に出す。リフなる人物がどんな人物なのかは、全く分からない。ただ、『これから』について考えを巡らせる様な思慮深い人物であ
る事だけは先程のユイの言葉から知れている。
返事は無いが、それでも奥から
何かが近づいてくる気配は感じ取れた。
「大丈夫、旅人のお客だよ。あ
んたより幼い子がいるんだ」
暗闇の中から現れたのは、瞳の
周辺以外は全て漆黒の布で覆ってしまっている人物だった。フードも被り、中は温かいにも関わらず、といった格好だ。身長から察するに、大体十五、六歳と
いったところだろうか。また、唯一出ている瞳は服装と同様に変わっている。
(瞳孔が……細い?それに、何
か背負ってるのかしら?)
腰の辺りが妙に盛り上がってい
るのを見て、内心で首を傾げるが、それ以上に彼の目が気になった。
怯え、なのだろうか。歓迎して
いるとは言い難い視線を感じ、チサトは少し身構える……が。
「……お兄ちゃん?お姉ちゃ
ん?どっち?」
脱力させる声が、隣からした。
それまでニワカネズミの干物と
格闘していた創が、黒尽くめの人物を見て、微笑みながら聞く。
「一応、お兄ちゃんになるのか
ねぇ?ねぇ、リフ?」
老婆の言葉にリフと呼ばれた人
物が小さく頷くと、その動作を見て創は立ち上がり、彼に走って近づこうとする。しかし、リフの方は創が近づいてくる事に怯え、ユイの背中に隠れてしまっ
た。
「……お兄ちゃん、僕のこと嫌
い?」
避けられた事に対して、それほ
どショックを受けているわけではなさそうな口調で、今度はゆっくり近づく。リフはさらに縮こまってユイの背中に姿を隠そうとするが、ユイは庇う事も無くた
だ微笑んでいるだけだ。
創の手が、リフの手に触れる。
「僕、お兄ちゃんと遊びたい
な……」
照れ笑いを浮かべながら創が言
うと、触れられた手を払う事無くリフも握り返す。
「お、いで……。あそ、ぼ
う……?」
創に全く敵意が無い事が分かっ
たのか、蒼く見える瞳を柔和に綻ばせる。その表情を見た創は色彩の異なる大きな瞳を目一杯に広げて頷くと、リフは微笑んだまま創を連れて奥へと引っ込んで
いった。
残されたチサトは、火の元に
戻ってきて湯を沸かし始めたユイに問うことなく、ただじっと座っていた。その様子に対してユイも何を言う訳でもなく、ただ火の元を見て湯加減を見ている。
ふと、思い出したようにチサト
が口を割る。
「怯え方が普通じゃないみたい
ですが、あの子には何があるんですか?」
単刀直入な聞き方。煩わしさを
一切見せないチサトにユイは微笑みを深めながらも、その目には鋭利さを滲ませていた。
「……あの子がなんであんな格
好してるんだと思う?」
火を挟んで顔を凝視している
と、パチ、と弾ける火の粉が足元に飛んできた。
「……あくまで、憶測ですが」
表情を全く変えずに聞き、ユイ
が頷くのを見るとチサトは口を開いた。
「……まず、彼に普通の人と異
なった身体的特徴がある、というのはまず間違いないと思います。失礼ながら、彼の瞳孔はヒトと違っていました。また、背中周辺の異様な膨らみ。そう、言う
ならば――」
「――犬だよ」
言葉を繋ごうとしたが、ユイが
先に答える。同じ言葉を吐こうとしていたチサトはユイの言葉を待ち、口を噤んだ。
「……あの子とアタシが出会っ
たのは、三年前になるのかね……。わかるだろう?あの――」
「――『刻まれた崩壊』……ですか」
今度はチサトが言葉を引き継
ぎ、今の世界がそうなったとされる出来事の俗称を挙げる。
「リフは……、言ってしまえば
可哀相な子なんだ……」
ユイは痛ましそうに目を伏せ、
チサトは黙ってその言葉を聴いていた。
「あの子は……飼い犬と混じっ
てしまったんだ……」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
部屋の奥へとリフに手を繋がれ
たまま歩く創は、久々にチサトではない者に手を繋いで貰い、ひどく上機嫌であった。
「お兄ちゃん、優しーねっ」
暗闇の中、幾度も転びそうにな
る創を気遣って足を止めるリフに、感謝の念を込めて微笑むと、布越しに微笑んだのが分かった。
「そんな事、ない、よ……?」
口数は少なく、出逢って数分し
か経っていなくても創には、リフという人物が優しい人物である事が分かった。手から伝わる温もり、そして何より瞳が温かい。
「ここが、僕の、部屋だ
よ……」
行き止まり、というべきであろ
うそこは、寝台替わりの毛布が敷かれただけの、本当に何も無い部屋だった。創はリフの手から離れ、毛布の上に寝転がる。
「あったかいね!お兄ちゃん、
さっきまで寝てたの?」
毛布に頬を寄せ、近づいてきた
リフに微笑んだ創は、毛布に動物の毛が絡んでいたのを見つけた。
「お兄ちゃん動物飼ってる
の?」
茶色の柔らかな毛を拾い、自分
の頬に当てると柔らかな感触が伝わり、創は顔を綻ばせた。
「お兄ちゃん、何飼ってる
の?」
創はリフを顧み、そこに怯えた
目をしたリフが、膝を震わせて立っているのに気づいた。
「……お兄、ちゃん?」
毛布から離れ、リフに近づ
く。ぁ、と声を漏らして、近づく創からリフは踵を返して駆け出した。
「お兄ちゃんッ!?」
突然逃げ出したリフを追おうと
創も駆け出すが、途中にあった石に躓き、顔面から滑りこける。痛みに堪えて顔を上げるが、既にリフの姿は無かった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「リフには、アタシと会うまで
の記憶が無いんだ。いや、あるにはあるんだが……、化け物扱いされていたときの記憶しかないんだ……」
沸いた湯に茶葉を入れ、少し出
たところでコップに注ぎ、暖を取りながらユイは続ける。
「あの子が覚えているところま
で聞いた話じゃ、アレが全ての元凶だったみたいでねぇ……。普通に暮らしていた、平凡な子だったそうなんだが、アレの爆発に巻き込まれて――」
「――気がついたら、飼い犬と
混じってしまっていた、と言う事ですか」
いたたまれない思いに触れたの
か、言葉を詰まらせるユイの言葉を引き継ぎ、チサトは彼女の言うアレに思いを馳せる。
『刻まれた崩壊』。ニホンを中心に何の予兆も無く巻き起こった大災厄。
曰く、旧時代のニホンが秘密裏
に持っていた核兵器の誤爆。
曰く、全てをなげうったテロ攻
撃。
曰く、異星人からの攻撃。
至る所で諸説が囁かれる中、唯
一確かな事が一つだけあった。それは、
ニホンを中心に、世界各国が滅
びへの道を辿ったという事。
世
界の情勢がどうなのかは、全く分からない。それと言うのも、行政機関が完全に崩れ、飛行機などといった物も全て破壊され、他国との連絡を取れる体制に無い
ためだ。とはいえ、かつての首都は、今では本当に何も無いただの大地になっているからどうしようもなく、人々は流浪しているという訳なのだが。
「……あんた達は、何処から来
たんだい?西へ行くといっていたが、ここいらもだいぶ西の方と言えるはずだがね」
「だいたい、三年前からひたす
ら西に向かって歩いてます。あの子に……創に全てを見せるまで、この旅は終えないつもりなので」
話題を変えたユイの言葉に、少
し目線を下げてチサトは答えていた為に、ユイの後方からリフが物凄い勢いで飛び出してくる事に気づく事が遅れた。
「リフ?!」
外に向かって駆け出していった
リフの異変に気づき、ユイは立ち上がって後を追う。残されたチサトは、創が一緒でなかったことを不安に思い、少し眉根を寄せて奥を見つめていた。すると、
すぐに転んだのか、膝を擦り剥いた創が目尻に涙を溜めながら足を引きずり歩いてくる。
「お姉ちゃん……、お兄ちゃん
は?」
流れている血を気にすることな
く、創は姿を見失ったリフを探すが、気配すらない事を感じて傍まで寄ってきたチサトに問う。チサトは黙ってしゃがみ込むと創の傷を見やり、懐から消毒薬な
どを取り出して治療して、困惑顔で外を見る創の顔を見つめた。
「何があったの?」
物言いはきつくないが、視線が
少し険しい。飛び出して行ったリフの様子を見て、創が何かやったのだと考えたのだ。
「……コレ、お兄ちゃんの毛布
で見つけて……。何か飼ってるのかと思って聞いたら……」
目の前の保護者の表情に、少し
怯えながらも創は握り締めていた茶系の抜け毛を彼女の眼前に晒す。
(彼自身の物、なのね……)
リフの事情をユイから聞いてい
たチサトは、それだけで理解すると創の手を取る。
「探しに行くんでしょう?ちゃ
んと謝らなきゃ、駄目よ?」
「分からないけど、お兄ちゃん
傷つけちゃったんだよね……。僕、お兄ちゃんと仲良くなりたいな……」
寂しそうに微笑み、創はチサト
の手を握り返す。そんな創に眉根を緩めると、チサトは創が転ばない程度の速度で走り始めた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
久々に出た外は、意外にも眩し
かった。深い雪に包まれ、夜に近い昼を照らす仄かな光が雪で反射し、地面そのものが輝きを放っている。
(……どれくらい、久々になる
んだろう……)
ユイの家を全速力で離れたリフ
は、息を切らしながら当ても無く外をさ迷い歩く。黒の襟巻きは走っている内に落ちたのか、彼の隠されていた口元が露になっていた。
鼻先が前に出た獣の顔が、露に
なっていた。
(……僕は……一体何なんだろ
う……)
雪の吹き込んでいない廃墟に
そっと入り、腰を落ち着ける。鼻先に積もった綿雪を払いのけようと袖奥に引っ込めていた腕を出す。
「……こんな身体……欲しくな
かった……」
ぼそりと、自分の手に向かって
呟く。ヒトには無い、柔らかくもしなやかな体毛に包まれ、鋭利に伸びた爪を帯びた手がそこにあった。
不意に込み上げて来たのは涙で
はなく、胸の奥底で硬く鍵をかけて秘めてきた――
――絶望感。
創という幼子に会って、如何に
自分自身が“普通”ではないのかを思い知らされ、今の姿になる寸前の記憶を掘り起こす。
(散歩に行くって言って……い
つもの道をツバサと歩いてたら……)
その直後の出来事を思い出し、
自らの身体を掻き抱く。震えを押さえ嘔吐感を押し込みながら、顔を上げた。
そこには何も無く、ただ雪が舞
い落ちてくる暗い空だけが細い瞳孔に映った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
足跡を途中まで辿るが、如何せ
ん降り続く雪が時を経るに連れて消していくので、チサトも勘を頼りにひたすら探すしか手が無かった。
「っ。この視界じゃ探せるもの
も探せないわね……」
手
を離したら終わりだという事がわかっているのか、創の手から伝わる力はいつもより強く、次第に強まる雪が二人の視界と体力を奪っていく。吹き荒む風に幾度
か浮きそうになる創を傍まで抱き寄せ、目を凝らして黒い影が無いかを探すが、先に出て行ったユイの姿も見えず、チサトは吹雪の陰になりそうな壁際に寄っ
た。
「大丈夫、創……?」
身を縮込ませながらも辺りを見
回し続ける創を気遣い自分の懐に入れてやる。本来ならば暖かいはずの彼の身体も冷え切ってしまっていた。
「このままじゃ、下手するとあ
たし達も危ないかもしれない――」
「――見つけた!!」
戻ろう、と提案しようとしたチ
サトの腕を、創は突然引っ張り始めた。一メートル先すらも見えない風雪の中を、あたかも全てが見えているかの様に一直線に突き進んでいく。当初は戸惑って
足取りが重かったチサトだが、創の片眼を見て悟り、彼に全てを委ねた。
「……分かるのね、彼の居場所
が……」
「お兄ちゃんだけじゃないよ、
お婆ちゃんも一緒にいるっ!」
ターコイズの髪に、翡翠の瞳。
それとは似つかない、漆黒の瞳が淡い輝きを放っていた。黒から放たれているとは思えない、優しい光は創だけではなくチサトをも包んで、吹雪から守ってい
る。
「……あそこ!あの建物の中に
いるッ!」
駆ける様な足取りの先に見え
た、集合住宅跡地の一つを指差し、創はチサトを引く手の力を強める。時折雪に足を取られながらも、二人がその建物の中へと入ると、ユイの声が響いてきた。
「リフ!しっかりおしッ、寝
ちゃいかん!」
切羽詰った声色を聞き、慌てて
二人が暗闇の中に灯るユイのランプの元に駆け寄ると、そこにはぐったりと力を抜いた半人半獣の頭を抱くユイの姿があった。黒布は無くしたのか、顔が完全に
見えている。また、尾骶骨付近からは彼の体格に見合った痩せ細った、
「……尻尾だ……」
汚れた茶色の尻尾が垂れてい
た。よく見ると、着ている外套は溶けた雪の為にぐっしょりと濡れ、その為に身体が冷えたのか小刻みに身体を震わせている。
「呼吸が荒い……。このまま
じゃ危ないわね」
冷静に判断を下し、チサトはリ
フの着ていた服を脱がすと、手早く自分の着ていた服の裾を破り、それでリフの濡れた身体を拭いた。大部分の水気を取ると、一度自分の外套を脱ぎ、リフを背
負う。
「急いで戻りましょう。早く身
体を温めないと、どうしようもなくなってしまう」
軽くパニックに陥っていたユイ
に言い、チサトは外に出ようとする。
「お、お待ちっ!大した距離
じゃないのは確かだが、衰弱してるその子を背負ってこんな吹雪の中を行くのは――」
「助けます。絶対に」
ユイの言葉を遮ってチサトは断
言する。そのフードの奥から見える彼女の目を見て、ユイは黙らざるを得なかった。
「創。急ぐわよ」
「大丈夫。お兄ちゃんは僕が助
ける……」
チサトに歩幅を合わせて創はそ
う呟くが、彼の額にはこの極寒にも関わらず玉汗が浮いていた。
「……もう少し、頑張れるわ
ね?」
「大丈夫」
黒眼の輝きが少し薄れてしまっ
ているようにも思える。どうやら、創の使っている力は己の体力を消耗するものらしかった。
創の言葉を受けて、チサトは一
歩踏み出す。凍える吹雪は先程よりも収まったようだが、それでも視界は最悪と言えた。
「……ここから、北東の方角。
距離は僕の足で二千歩強ぐらい」
両目を開き、辛さに堪えながら
創はきっぱりと言い切る。子供の足での二千歩。約一キロ弱と言ったところか。
「行くわよ」
創の言葉を受けたチサトは、前
の見えない豪雪の中へと足を踏み出した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
パチ、と火花の爆ぜる音を聞
き、リフは目を覚ます。
「こ、こは……」
急激な眠気に襲われてから先の
事を覚えていない彼は、ふらつく身体を起こした。
「リフ!……よかった。何とか
起きられる様になったみたいだね」
「ユイばあちゃん……」
横から聞き慣れた声がして、少
し不安が消える。頭を振って現状を把握しようと周りを見回す。
「僕の……部屋?」
「久々に外に出て、温度変化に
耐えられなかったんだろうね。あんた、外でぶっ倒れてたんだよ」
沸かした湯の入ったコップを
持って、ユイがリフに渡しながら答えると、彼は素直にそれを受け取った。
「……ばあちゃんが、運んでく
れた、の?」
顔を上げずに、一口含む。毛布
に包まされていたとはいえ、身体に浸透するかのような温かさが喉を潤す感覚にリフは暫し酔いしれるが、湯気の立つ水面に映る自分の姿を見て顔を背けた。
「ばあちゃん、布……頂
戴……」
水面に映った犬の顔。その左目
付近には一生癒える事の無い、抉れた様な傷がある。嘔吐に似た感覚を覚え、リフはコップを床に置くと、自分の獣の手を見つめた。
「……どうして神様は……僕な
んかを残したんだろう……」
「神なんかいないのよ」
布を取りにユイが離れた時、リ
フは毛布に顔を沈めながら応えを求めない呟きをしたが、闇の通路から応えが帰ってきた。
「神なんて、存在しないの。い
るのは貴方。貴方という存在は、誰にも否定できることなく、ココにいるの」
洞窟の様に、歩く度に音が反響
する通路から、薄着姿のチサトが現れる。
「っどうして……」
「貴方をここまで運んだのは
私。ユイさんから貴方の目が覚めたって聞いて来ただけよ」
怯え竦んで毛布をかき寄せるリ
フに近づき、数メートル離れた所で腰を下ろし、彼女は続ける。
「今と言う時代。貴方を否定す
る理由など何処にもないの。そして、否定できる人もいないの。……この時代を招いたのは、外でもない人の所為なのだから……」
無表情のまま、ただ淡々と言葉
を並べ、少し顔を伏せた。チサトの言葉が止まると、聞こえるのは火花の弾ける音だけで、リフは掻き抱いていた毛布で口元を隠しながら恐る恐る途切れ途切れ
ながら言葉を紡ぐ。
「僕は、普通じゃない、か
ら……。ばあちゃんに拾われる、前も……石とか、投げられて……。ばあちゃんが、いなかった、ら……、僕は、死んでて……。で、も……。死んじゃってた方
が、良かったのか、な、って……」
「なら、死にたいの?」
彼の言葉に、チサトは追い詰め
るかのような発言をして、彼に視線を合わせた。
「……死んだ方が良いなんて、
もっと自分のやりたい事をやってからにしなさい。貴方は単にその姿が周りに認められなかったからそんな事を言っているだけ。ろくに戦いもせずに死ぬのは、
逃げるのと一緒よ」
リフが反論しようと視線を上げ
ると、彼女と視線が合った。睨む様な目付きの中、そこには深い哀しみの色が垣間見える。
「逃
げる事は誰にでも出来るの。挑戦してそれでも無理なら、一度作戦を練る為に逃げるのは良いかもしれない。でも、貴方はまだ挑戦もしてないし、挑戦する為の
気持ちを自分の中で作ってもいない。『自分は不幸だ』なんて考えてる暇があるなら、もっと周りに視野を広げてみなさい」
合わせた視線が、外せなくな
る。真正面から見るチサトの瞳は黒よりも蒼に近く、リフは自分の記憶の中にある、もう見る事の出来ない蒼穹を思い出した。
「……説教しちゃって悪かった
わ。とにかく、体力が落ちてるからまた寝た方がいい……」
不意に視線を外すと、チサトは
立ち上がって足早にリフの視界から消えていこうとする。
「待、ってッ!」
既に通路へと足を踏み入れてい
たチサトを、リフは少し強めの声で呼び止めた。その声に立ち止まり、チサトは近づく事はせずに振り返る。
「ぼ、くは……イラナイ存在
じゃ、ない、の……?」
リフの言葉を聴き、彼女はもう
一度だけ彼を見て、溜息を吐いた。
「当然の事を聞くのは止めなさ
い?」
リフの言葉にしっかりとした応
対もせずにチサトは立ち去るが、代わりに言葉尻は優しく、その言葉にリフは細い瞳孔をした瞳に涙を溜めた。
「ぁ……りがとぅ……」
通路の暗闇の中にチサトが溶け
込むのを見つめながら、何年かぶりの涙を流し、リフは誰もいなくなった部屋で一人小さく微笑んでいた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
翌朝は吹雪も止み、風の無い穏
やかな雪が深々と降り注いでいた。全てを白で埋め尽くしながらも、まだまだと言わんばかりに降り注ぐ雪を、創は外で見上げていた。
昨日の疲れが起こっているの
か、普段より心なしか元気が無いように見える。ふぅ、と白くなる溜息を吐きながら、見飽きた雪を見上げていると、背後から人が近づいてくるのが分かり振り
返った。
「もう、身体ヘーキ?」
歩いてきていたのは、顔を覆う
黒布を外したリフだった。
「う、ん。心配掛けさせちゃっ
てごめん……ね?ばあちゃんから、聞いた、よ。その……ぁりが、と……」
気恥ずかしそうに口元でモゴモ
ゴしながらも、リフは礼を告げて創と同じ様に空を見上げると、自分の手をかざして雪の明るさに目を細める。
「君のお姉さんは、凄い、ね。
何でも知ってるみたい、だし……。戦いも……出来るんでしょ?」
自分の顔を見上げている創に対
してそう問いかけ、手を降ろす。鋭利に伸びた爪がやはりまだ好きにはなれないが、それでも隠すほどではない。
「チサトお姉ちゃんは凄いけ
ど、神様じゃないよ?」
きょとんとした顔で創は言う。
リフの昨日との違いに驚きを隠せていないのだ。
創の言葉に、わかってるよ、と
微笑み、リフは創の幼い手を取る。
触れた手は温かく、そして小さ
かった。
「風邪ひくと、怒られちゃうか
ら……、戻ろ?」
爪で傷つけないように優しく包
み込むと、創も満面の笑みで応え、二人は歩幅を合わせてユイの家へと戻り、談笑しているユイとチサトの元へと向かう。
しかし――
「っ?!危ないッ!!」
――突如リフが叫んだかと思う
と、創の身体は宙を舞っていた。そして、突き飛ばされたのだと頭で理解しながら、耳に入ってきたのは強烈な破裂音。視認したのは――
「ちっ、しとめそこなった
か……」「ガキもだ。邪魔しやがって」
――鮮血を撒き散らしながら
も、決然と立ち上がるリフの姿。
「っお兄ちゃんッ!!」
「来ちゃ駄目だっ!!」
子供ながらに手早く受身を取
り、創はリフに近寄ろうとするが、彼自身に止められてしまい立ち尽くしてしまう。
「っ、何の為に、こんな
事……」
二十メートルほど離れた位置
に、昨日チサトに軽く往なされていた集団が銃を持って嘲笑っていた。護身用のハンドガン等ではない。グリップが木製で少々古いながらも殺傷能力の高い
ショットガンを中心に、旧式のライフルを構えた男達が瓦礫の上に立っていた。
リフの問いかけにも変わらず下
卑た笑みを浮かべたまま、唐突に構えて乱射する。
「っ?!」
銃口が向けられた瞬間に大きく
横に飛び跳ね、リフは銃弾をかわし、創は予め物陰にいたので事なきを得た。
「何すんのっ!?リフ兄ちゃんは関係ないでしょ?!」
物陰から男共に問いかけると、
今度は答えが返ってくる。それも、相変わらずの嘲笑いを含んだ声で、最低の答えが。
「邪魔なんだよぅ、化物も、て
めぇもなぁ。大半のやつは、もう俺寄りなんだよ。ばばぁさえ死ねば、この集落は俺の完全な天下になるってぇのさ」
その言葉にしばし二人は呆然と
するが、すぐさまに自分達の置かれている境遇を整理する。
「創君。ばあちゃん達、呼んで
きてっ!」
「お兄ちゃんは?!」
声を掛けられ、創は不吉な予感
に捕らわれながらも、ユキヤ達を警戒しながら姿勢を低くして動き、聞きたくない答えを耳にした。
「僕は、ここで足止めするか
ら……」
止めようと言葉を発する前に、
視認出来ない位置からリフの優しい声音がする。
「大丈夫。君達について行きた
いから、死ぬつもりは無いよ。だから、チサトさん、呼んできて……」
「っ、絶対だからね!すぐ、す
ぐ戻るからねッ!」
唇を噛み締め、残りたい思いを
抑えながら創は駆け出した。後ろを振り返ることをせず、一直線にチサトの元を目指した。
背後で何発もの銃声が聞こえよ
うとも、彼は足を止める事をしなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
創が駆け出した音を聴いた瞬間
に、リフは物陰から全身の筋肉を使って勢いよく集団の目の前へと飛び出す。案の定、銃口は懸命に駆けている創の後姿を狙っており、リフはその間に滑り込む
ようにその細い体躯を動かし、男達を睨んだ。
「こんな時代で、何の為に人を
殺さなければならないっ!」
リ
フが目の前に現れた事で、照準は創からリフへと変わるが、リフも変わったことを目にすると銃口から逃げる。雪上では大きく転倒しそうな勢いで左右に動き回
り、相手を翻弄する。リフの動きを見て慌てた男から何発も銃丸が放たれるが、全てリフに当たる事無く雪に埋まり、リフは再び物陰に隠れた。
「無意味な殺戮こそ、今ここで
するべきことじゃないはずだッ!」
「生意気な事言ってんじゃねぇ
ぞ、化けもんがよっ!」
リフの言葉に逆上し、彼の隠れ
た壁に向かって数発、否、数十発の弾丸が打ち込まれ、壁が削られていく。
(これなら、少しは……持
つ……かな……?)
流血の為に上がる息を整えなが
ら、リフは次の行動を練る。
この場で待機か、反撃か、逃亡
か。
止まない銃声をバックに、リフ
は思考を巡らす。
(とりあえず、居場所がばれて
るのは危険、かな……。移動するには、あの乱射を切り抜けてさらに移動を繰り返さなきゃならない……)
自分の隠れている壁の一番近く
にある廃墟も、何十発もの連射を続けられ、半壊してしまっている。辺りの様子を探るが、その廃墟以外に隠れられそうな場所は無い。
(いや……。背後に回れ
ば……)
連射してくるユキヤ達の方角に
は、瓦礫の山が重なっていた。故意なのか偶然なのかは分からないが、彼らのいる場所ならば、身を隠すには余りあるほどの瓦礫が散乱している。
考えられる時間は、余りにも少
なかった。リフは履いていた靴を脱ぎ、素足になると、さらに羽織っていた外套も脱ぎ、こちらは空気を多く取り込むようにゆったりと広げる。そして、靴紐を
解いて外套にぶら下げ、重し代わりにすると、タイミングを計る為に息を殺した。
「高尚な事言っときながら、隠
れるだけなのかぁ?!」
ユキヤの苛立った声が聞こえた
瞬間、リフは手にしていた外套を一番近くにある壁の方向に向かって投げる。
「おいでませ、ってかぁ!!」
視
界に入った瞬間、銃口は飛び出したリフのコートへと向き、あっという間にずたずたにしていく。だがその一瞬、意識を逸らす事に成功したリフは、一発目が
コートを突き破ったのを確認した瞬間に、姿勢を可能な限り低くした状態で逆側へと飛び出した。壁となる物の何一つ無い雪原を裸足で駆け抜け、大きく弧を描
きながら男達の背後にある瓦礫群を目指す。
しかし、彼らも馬鹿ではない。
引き裂いた外套にリフの姿が無いのに気がつくと、照準を駆けている彼に合わせ、連続射撃。
姿勢を低くしていても、銃弾は
リフの腕や頬を掠め、白銀の大地に紅い華を咲かせる。徐々に照準が合ってきているのか、リフに迫る銃弾は数を増やし、彼は一か八かの賭けに出る。
「っ、だあぁアーーッ!!」
空
気抵抗を無くす為に身体に張り付かせていた腕を、思い切り雪の中に叩きつけ、そのまま駆け抜ける。リフの加速につられ、雪が大量に空へと舞い上がり、彼の
身体がユキヤ達の視界から一時的にしろ、隠れた。即席の暗幕のようだ。予想外の抵抗に、男達も少し焦りの表情を浮かべ、舞い上がった雪の奥にいるであろう
リフ目掛けて、全員で一斉掃射。激しい銃声が静かだった大地に鳴り響き、薄い雪の壁を突き破るが、その奥にリフの姿は見当たらない。
「ッ、何処行きやがった!?」
立ち込める粉雪は銃撃による空
気の移動で範囲を広げ、収まるまでにかなりの時間が掛かりそうな程まで膨らんでしまっている。銃撃をやめ、注意深く目を凝らしながら男達は黒い影を探す
が、見つけられない。
「死んで倒れてんじゃないっす
か?」
銃を構えたまま、静寂が訪れた
雪原に進言する声だけが響く。進言するくらいならば自分で見に行けばいいものなのだが、彼らはそれをしない。その理由は、
『異形』への恐れ。
ヒトと獣の混ざったリフの身体
能力の高さ、その容姿に恐れを抱いてしまっているので安易に近づきたく無いのだ。
ようやく舞い上がった雪が収ま
り視界が回復する。そして彼らが遠目で目にしたのは、動く気配の無い、黒い影……。影の傍には紅い液体が雪へと染み込み、ジワリと広がりを見せていた。
「……く、ははははっ!やった
ぞ!ババァについてた化け物はもう死んだ!後はババァと女とガキだけだ!!」
思っていたよりも呆気なく、簡
単にリフを殺せた事にユキヤは高笑いをする。狂喜なのか狂気なのか。周りの男達も止める事ができず、高笑いは降り続く雪の中にこだまする。
ひとしきり笑った後、ユキヤは
銃を肩に担ぐとユイの家の方角に目を向ける。そこには、駆け寄ってくるチサトとユイ、そして創の姿があった。
「お兄ちゃんッ!?」
血溜まりにはならない雪の上
で、脚や腕に幾つも貫通傷を負ったリフの姿を見て、創は真っ先に駆け寄る。
間
近で見ると、それは悲惨としか形容出来ないものだった。頭部と胸部・腹部への損傷はかろうじて無いものの、貫通、未貫通含めると傷の数は百近くに上る。し
かし、辛うじて息はあった。創がリフの身体を動かさないように呼びかける中、チサトはユイと共にユキヤと対峙していた。
「……そんな武器を持ち出して
まで、あなた達は一体何が欲しいの?無抵抗の子供を、あんな目に合わせてまでして、何が欲しいの……?」
淡々とした口調で、チサトはユ
キヤを見つめる。一見感情のこもっていない普段通りの瞳だが、彼女の両手は爪を食い込ませるくらいに力がこもっていた。
「あぁ?今さら何言ってやがん
だ?権力だよ。け、ん、りょ、く!そこそこでかいこの町を支配してりゃあ、毎日の食いもんには困んねぇ。この時代、餓死するなんざ当たり前だからな。生き
るためにゃ、上に立つのが手っ取り早いってっわけよ」
銃を持っている為なのか、余裕
さを滲ませながら、ユキヤが嘲笑うと、それまで黙っていたユイが啖呵を切る。
「ふざけるんじゃないよッ!力
で押さえ込まれた人達がずっと付いてくる訳無いだろう!あんたのしてる事はただの――」
「黙れよ」
啖呵の途中で、ユキヤは銃口を
ユイに向ける。
「てめぇのご高承な言葉を聴き
に来たつもりはねぇんだ。老い先短けぇから選ばせてやるよ。今ココで死ぬか、俺様に村長の権限を譲るか、どっちだ?」
下卑た笑いを引っ込め、トリ
ガーを半分引きながら問う。まだ、引き金を引くつもりは無い。ユイを殺すよりもまずは、その隣に立っているチサトの方が厄介だと彼は感じていた。
「女。ココで邪魔しねぇでガキ
連れて出て行くってんなら見逃してやる。おめぇもさっさと決めな」
銃口を向けられ、選択を迫られ
たユイとチサトは、互いに目配せをすると、ゆっくりとした動きでユイが先に口を開く。
「あんたらに村長役を任せるく
らいなら、ココで殺すがいいさ。そう簡単に、アタシは死にはしないけどね」
「悪いけど、弱いものいじめを
放って置くほど狭い心をではないの」
彼女らの決然とした言葉に、こ
めかみを引くつかせながら、ユキヤは一度視線を大地に落とし、再びユイ達を睨む。
「……良い覚悟だねぇ。いい
ぜ、お望み通り殺してやるよ」
そう嘲笑い、改めて銃口をユイ
に向け、引き金に指をかけた。
「……馬鹿なババァだ。あんた
はな……」
「あんたも、馬鹿な孫だよ」
ユイの台詞を最後に、静寂だっ
た銀世界は、再び戦場へと姿を変えていった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
轟く銃声の中、創はリフの身体
を支えて銃撃の的にならないよう壁裏へと移動していた。持ってきていたバックの中からハンカチを取り出し、腕や足などの怪我の酷い部分をきつく縛り、止血
する。
「絶対、絶対助けるから
ね……」
血液の不足で蒼ざめ始めたリフ
の頬に触れ、その血塗れの頬を拭うと、創は瞳を一度閉じて精神を落ち着かせる。再び開くと、彼の黒眼が昨日の様な淡い輝きを放っていた。
「助ける……。絶対に、助ける
んだ……」
うわ言の様に呟きながら、リフ
の傷ついた身体を凝視し、そしてその小さな手で箇所に触れる。
触れられた痛みでリフの身体が
小さく跳ねるが、創は構わず触れていき、呟きを繰り返す。
「っ、う……」
失血で気を失っていたリフが呻
き、うっすらと瞳を明ける。意識を戻した事に創は安堵するが、それでも傷が酷い事には変わりない。表情だけでリフに応じ、手を動かしていく。それまで傷に
被せてあった手が退くと、そこに流血をする傷は消え失せていた。
「こ……れは……?」
掠れた声でリフは呟く。自分の
身体の異変に気づいたようだ。寝かされた状態で、まだ動く事は困難だが、それでも傷が徐々に塞がっていくのが分かり、いつの間にか繋げられていた増血剤の
為に意識も回復してきた。
「はじめ……くん?……きみ
は……」
外だから寒いはずなのに、リフ
は温かさに身を包まれていた。創の瞳から発せられる輝きが、彼の身体を包んでいる。リフの呟きに、困ったような微笑みを浮かべ、創は銃声の止まぬ方向へと
首を向ける。
「僕は……化け物だから……」
表情は変わらず笑んだままだっ
たが、リフは思わず彼の手を握る。
「そんな事無い。君は、良い子
だ、よ……」
その言葉に一瞬きょとんとする
創だが、幼さを前面に出した満面の笑みで頷き、翳していた手を離す。
「暫くふらつくかも知れないけ
ど、傷は全部塞がったはずだよっ」
手を貸してリフを立たせ、創は
瞳を閉じる。再び開くと、今度は黒眼ではなく翡翠の瞳が輝いており、彼らを纏っていた暖かな空気が消えた。
「創、くん?何を……」
創の言った通りふらつく足を何
とか気力で持たせ、リフは雰囲気の変わった創に声をかける。
「僕は、チサトおねぇちゃんよ
り強いんだ……」
創は再び淡く微笑むと、そう告
げて戦場へその小さな身体を投げ入れた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「っ、洒落じゃすまないわ
ね……」
壁に身を任せながら、チサトは
肩で大きく息をして、呼吸を整えようと試みていた。発砲されてから、ほぼノンストップで雪原を走り回り、致命傷は負っていないものの頬や肩には擦過傷が幾
つもできている。
ユイとは初めの方に別れてしま
い、彼女がどの様な状況なのかは分からないが、少なくともまだ生きている事は男達の上げる怒声から分かった。
「とにかく、あのユキヤとかい
うのを潰さないと……」
中
々物騒な言葉遣いで、辺りの気配を探りながら思考を巡らす。懐に隠し持っていたスローイングナイフでかく乱しながら動いていたので、相手には今の自分の位
置は知られていない。背後とは言わないが、側面まで回り込むことが出来、既に銃撃を止めて徘徊して来た何人かは気を失わせ、他のメンバーにばれないように
瓦礫の下に隠してあった。残りのナイフの本数を数え、チサトは気配を殺しながら移動を開始する。
(……あの子が動く前に終わら
せないと……)
し
かし、チサトの思う人物は既に動き始めていた。物陰から、戦場の中央となっていた雪原に目を向けると、そこには創とユキヤの姿があった。走る訳でもなく、
その幼い顔に怒りを滲ませながら、淡々と歩いていた。勿論、そんな創の姿に怯える訳も無く、真正面から彼を銃撃するユキヤ。
「はじ……っ!?」
途中で声が詰まったのは、創が
銃撃されたからではない。銃丸に晒された創を中心に爆発に近い風が巻き起こり、言葉が紡げなかったのだ。創に向かっていた銃丸は彼に当たる事無く全て叩き
落され、打った張本人であるユキヤは突風に吹き飛ばされながら驚愕の表情を浮かべる。
「さ……いなひと……ぬしか
なぃ……」
風に乗り、創が何か呟いている
のが聞こえるが、明確ではない。チサトは唇を噛み締めながら、彼に向かって駆け寄る。その間にも創に向かってユキヤは銃撃を続け、仲間を呼び寄せ、全員で
幼い少年に銃を向けた。
「こ、の、化け物ぉ!!」
確実に優勢だった自分が、一挙
に劣勢に立たされている事に恐怖を抱きながらユキヤは発砲し、その度に翡翠の瞳が発する輝きに全てを防がれる。半狂乱に発砲を続け、それでも近づいてくる
創に、彼らが感じたのは――
――恐怖ではなく絶望。
「最低な人たち……。死ぬしか
ないよね……」
暗い、闇の淵の様な瞳で創は彼
らを見つめる。輝いているのは翡翠でその輝きは明るいのにも関わらず、彼らに感じられるのは素人でも分かるほどの殺意。
唇を震わせ、とうとうユキヤの
周りの男達は銃を落として雪の上に膝をつく。そんな彼らには冷酷な視線だけを向け、創はかろうじて立っているユキヤにその視線を向けた。
「……『化け物』っていうの
は、僕見たいのを言うんだよ……?お兄さんみたいなのは、ただのヒトだよね……」
外見年齢不相応の見下した笑み
を浮かべ、創は銃を未だに構えるユキヤの目の前まで歩を進め、彼を見上げる位置で足を止めた。
「ただのヒトに……、『化け
物』が殺せるの?」
「生意気、言うんじゃねぇーッ!!」
震える肩を無理やり振り上げ、
砲身を創に向かって振り下ろす。しかし、それも翡翠の壁に阻まれた。
「……無力だね。もういいよ、
さよなら……」
「止めなさいっ!!」
完全に膝を崩したユキヤに右手
を掲げ、創は翡翠の瞳に意識を集中させていた時、背後から抱きしめられ、創は意識をそちらに向ける。
「……チサトお姉ちゃん……」
「感情に任せたらいけないっ
て、前から言ってるじゃない……。もっと落ち着いてみなさい」
抱きしめる腕に力を加えて身体
を密着させ、チサトはその状態からユキヤ達の銃を蹴飛ばして抵抗力を失わせると、さらに腕に力を込めた。
「……苦しいよ……」
完全に輝きを失ったとき、創は
ポツリと呟いてチサトの腕に手を掛ける。それを合図にチサトも腕を外し、今度はユキヤ達を見つめた。
「あなた達は、愚かね。自分の
力を過信して、弱い者を狙って。逆らえない相手には閉口して怯え震える。この子が言ったけど、最低ね」
感
情のこもっていない痛烈な言葉に、ユキヤはもう怒れる事も出来ず、ただ黙って震えている。戦意を喪失しているのが見てわかり、チサトは改めて銃を全て蹴り
壊すと、リフの元へと向かった。後には、ただ震える愚かな男達の姿だけが、破壊された銃と共に銀世界に散らばっているだけだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
深々と降り続いていた綿雪が、
次第に空で舞う粉雪へ姿を変える頃、創達はユイの家の前にいた。彼の戦いを遠目ながらに見ていたユイも、多少の擦過傷を負っていたが、リフほどではなく、
自分でもさほど気にしていないようだ。
「言ったろう?そう簡単に死
にゃしないって」
チサトがユキヤ達を牽制した事
もユイの傷が少ない理由の一つだろうが、それにしても老体とは思えない機敏な動きをしていた。快活に笑うユイを見て、リフは苦笑を浮かべ、創は微笑む。チ
サトは相変わらずの仏頂面で応じ、彼女はリフに視線を移した。
「笑えるじゃない。そういう顔
していた方が、ヒトはよってくるものよ?」
声音に優しさを乗せ、創の手を
取る。彼女の背には荷物があり、創も多少ながら荷物を背負っていた。
「……それでは、お世話になり
ました」
チサトの口から、放たれた言
葉。その場にいる全員が納得をしていたが、それでもリフには後悔と哀切の念が顔に浮かび、壁に寄りかかっていなければ辛い体でチサトに近づく。
「……本当は、貴方達について
いこうと思っていたんです……。でも、止めておきます。体がボロボロだっていうのもあるけど」
一度言葉を切り、戦場となって
いた雪原の方角を見つめ、リフは再度口を開く。
「……この村で認められて、貴
女より強くなって。そうしたら、会いに行きます。ばあちゃん以外で初めて『僕』を認めてくれた、チサトさんに
会いに。……だから、それまで、どうか無事で……。創君と一緒に、生きていて下さい……」
蒼い両眼から雫が零れるが、リ
フは拭う事をせずに、チサトと対峙する。
この日を
この姿を
この心を
いつまでも
いつまでも
いつまでも
忘れないで貰う為に
覚えていて貰う為に
刻みつけて貰う為に
先に視線を外したのはチサトの
方だった。空を見上げながら、創の手を握り直し、大きく溜息を吐く。
「……待っているわ、来てくれ
る事を。……当てにはしないけどね」
ポツリと呟き、落ち込みかけて
いたリフの顔を見つめる。
「私より強くなるのは難しいと
思うけど、頑張って。いつかまた、会いましょう……」
そっと、自分より小さいリフの
頭を撫で、チサトはユイに会釈をすると銀世界へと足を踏み出した。
踏みしめる雪の感覚と、泣くま
いと堪えている創の温かい手の感覚。
そして、吹き寄せるのは風と共
に舞う雪の華。
「リフ、か……」
呟きは虚空へ、彼らは西へ。
止まぬ雪は彼らに降り続き、戦
場にも降り続く。朱に染まった雪原は再びその色を戻し、朱は大地となっていく。
異
形を抱えた少年は、小さくなる想い人が消えるまでその姿を追い、涙を零しながらもその顔に微笑みを浮かべる。雪に映える黒の布を剥ぎ、冷たい空気を口一杯
に吸うと、灰が凍りつきそうになるが、その感覚にさえ新鮮さを覚え、少年は生きる事をその柔らかな体毛の生える胸に誓う。
――壊れた世界は、まだ崩壊に
は至っていなかった――