高校生活が終わりを告げた。友人との楽しい生活、暑苦しい程団結した部活動。全てが良い思い出だ。たった一年半という短い期間だが。そう、僕は高校を中退したのだ。
進んだ高校は、都内でも有名な進 学校だった。一流と呼ばれる大学に何十人もの人間を進め、その学校には入れればそれだけで近所で有名になった。僕は、平凡な公立中から独学でそこに進学し た。近所はもちろん、町内中で一時期評判を集めていた。しかし、僕は高校をやめた。別に、大学に執着していなかったし、何より嫌になったのだ。“良い子” のフリを続け、良い成績を取り、教師への点数稼ぎをする生活が。
普通なら、とっくに授業が始まっている時間に目を覚ました。枕元の時計に目をやり、あわててベッドの上で跳ねた自分に苦笑した。十年以上続けてきた“登校”という朝行事が、体に染みついていておかしかったのだ。
階段を降りてリビングに向かう。母さんはもう仕事場の美容院に行ったらしく、テーブルの上にはおにぎりが置かれていた。冷えた烏龍茶と共に、おにぎりを喉に通している時、ふと母さんの言葉が頭に浮かんだ。
『あんたの好きな様にやりなさい』
落ち込んではいたが、豪快に笑う母さんは、早くに父をなくした僕にとって、母であり、父であった。怒るという事をしなかった母さんの器の大きさというものを、改めて知った。
休日とは違う、外から聞こえてくる日常生活の音。掃除機や布団干し、オバサン同士の会話を聞いているのが何となく嫌になって、僕はヘルメットを持って外に出た。湿り気を帯びた風が、ヘルメットを被るのを憂鬱にさせた。今日も昨日と同じく、太陽は空から照りつけている。
ス クーターに乗り込み、当てもなく街中を走らせる。吐息の熱を中々逃がしてくれないヘルメットは鬱陶しいが、体をなでる風は気持ち良い。路地裏を縫うように 進んでいくと、住宅地の一角に小さな店を見つけた。開店されたばかりではないのだろう、しかしきちんと塗装された看板。手垢の見られないショーウインド ウ。きらびやかではないのだが、なぜか目を引く温かな雰囲気を持った店だ。十字路が近かったため徐行させていた愛車を、僕はその店の前で停めた。
「うわ…」
溜 息混じりに呟くしかできなかった。ショーウインドウ内には、全長四~五センチ程猫や犬、イルカなどに形作られたガラス細工がいくつも飾られており、一つ一 つの表情も生きている様だ。ウインドウ越しに入ってくる陽光を反射して、ガラス細工は一層輝きを増している。“美しい”や“綺麗”なんてありきたりな言葉 では言い表せない、神秘がそこにあった。
「何か、気に入ったものがありましたかな」
突然背後から声をかけられ、危うくヘルメットを落としそうになる。振り返ると、柔らかな笑みを浮かべたお爺さんが立っていた。無言でつっ立っていると、彼は僕の隣に立って細工を見ながら口を開いた。
「この子達を作るのは、結構時間がかかったんですよ。何度も作り直しましてね。僕からすれば、子供みたいなものです」
口元は微笑みを浮かべたままなのだが、目元は悲しみが宿った。僕より1回り背が低い上に、少し曲がった腰のせいでさらに小さく見える。
「子供は作り直しなんて出来ないです。作品は、やっぱり作品でしかないんじゃないんですか」
僕は、老人と視線を交えずに言った。彼は少し驚いた様子で目を丸くして僕を見たが、すぐに元の穏やかな表情に戻った。
「確かに、現実の子供は作り直しなんて出来ませんね。それでもこのガラス細工たちは、僕がこの手で作り上げた子供たちなんですよ」
何となく、彼の言った意味がわかった。そっとウインドウに触れる彼の手は、僕より二回り程大きく幾つも火傷の跡がある。長い間、ガラスに触れてきたことが簡単に読み取れる。
「何となく、わかりました。けど、何で僕にこんな事を―」
「息子に、似てたんだ」
みなまで言わせず、彼は俯きながら呟いた。
「昔、僕がまだ駆け出しのガラス細工職人だった頃、妻に逃げられてね…。些細な喧嘩だったのだけれど彼女は連絡もくれずに、まだ五歳だった息子と消えてしまったんだ。すまないね、初対面の君にいきなり変な事を言ってしまって」
返事を待たずに、老人は店の中に入っていってしまった。残された僕は、蝉時雨の中、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。結局、彼と僕は一度も目を合わせる事はなかった。
そういえば、昔母さんがこう言った。
『自分の好きなようにやるのはいいけど、自分勝手はいけないよ』
幼稚園を卒園するぐらいの時期だったろう。桜の花びらを追いかけて手を伸ばす僕に、母さんは確かにこう言った。意味はよくわからなかったが、明確に記憶されている。ただ、自分の意思で舞い散る花びらを追っていた。
僕は老人に弟子入りした。高校生活の様に、周りに流された訳ではない。幼少の頃みたいに、自分の手を使いたくなったのだ。