◆ ◆ ◆ ◆ ◆
風花舞い散るその光景を、誰が求めたのか。
理解しがたい程の吹雪が、上空を厚く覆う曇天より休む事無く落ちてくる。視界に映るのはただ痛みを感じる程の冷たさを保った雪と氷。そして、聞こえるものといえば轟音と呼ぶに相応しい風の音だけであった。
そ
んな中、歩みを進める事すら間々ならない雪原に、二組の足跡が並んで続いている。一つはそれなりの大きさをした足跡。そしてもう一つは四足の獣の足跡であ
る。犬の足跡に似ているが、その大きさは想像し易い大きさをしたものではなく、子供のこぶし大の足跡がとうとうと続いている。一寸先も見えない雪上で、彼
らの足取りは変わらず、常に並んで歩いている様だ。足跡は迷う事無く東に向かって進んでいたが、途中非常に悪い視界の中に現れた洞穴の中へと向かって消え
ていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
洞穴の中は割合奥があり、彼らはそこで旅路の中で拾っておいた木材に火をつけて暖を取っていた。
「今日はここで泊りにしようか」
初めは白かったであろう薄汚れた外套を脱いでその顔を晒した青年が獣に向かって微笑み、雪によって湿った外套を火の傍に寄せた。既に濡れた毛皮を乾かしていた獣は彼を見上げて人の様にこくりと肯いてみせる。
改めて見ると獣の姿はやはり大きく、普通ではない姿をしていた。輝く金色の瞳、残酷なまでに凍てつく世界とは正反対の、春の太陽の様な柔らかな光を保つ毛皮。
世界に反する輝きを放つ獣だった。
「タウ、今日はご飯食べる?」
一通り片づけを終えて焚き火の傍に腰を落ち着けた青年が獣に再び話しかける。先程まで暗闇の中にいた青年だったが、彼の姿も獣以上に変わっていた。
深く鮮やかな緑の髪に、両眼違いの瞳。深い闇色と形容すべき右眼と、髪以上に鮮やかな輝きを放つ、ターコイズ・アイ。そして、年齢不詳を思わせる全てを識っているかの様な深い微笑み。
全てが、彼を謎に満ちた存在に思わせる。
「一昨日食べてるし、俺は平気。創が食べて」
獣と青年しかいない洞穴に、青年とは異なる子供の声が小さく響いた。彼らの周りにはただ炎に照らされる土の壁があるだけで、人の気配は全く無い。
「それに、前も言ったじゃん。俺は一週間に一回で全然ヘーキなんだよ?」
獣がむくりとその身体を動かした時に再び、声。
「創と違って、弱くないからねっ!」
獣が、言葉を発していた。どうやらタウと呼ばれていたその獣は、世界が氷に包まれてから生まれた生物で、人の言語を解する珍しい生物の様だ。
獣に名を呼ばれた青年はもう手馴れたやり取りに苦笑を返し、乾かしていたディパックから肉の干物を取り出すと、つかの間の食事に勤しむ。
ド ォンン
創が固い干物をようやく噛み切ったその時、彼らの身体全体を揺るがすほどの爆音が響いた。風の音や創の声ぐらいしか耳にしたことの無いタウがその音に驚き、まどろんでいた身体を跳ねさせて飛び起きるぐらいの爆音だ。
「な、なになになに?!」
既に外套を羽織り直して洞穴の入口まで走っていた創の後を慌てて追い、タウはその大きな身体を創にぴったりと寄せる。
ド ォンン
二度目の爆音が身体を揺さぶり、身を固くするタウの横で、創は音の鳴った方向を見定めようと注意深く反響する音に神経を尖らせた。
「は、創……。何なの、あの音……」
視界は完全に雪に遮られ、滅多に見せない険しい表情を保つ創にタウは声をかけるが創からの答えは無く、更にその身を寄せる事しかできない。
「タウ。今の音の方向、どっちからかわかる?」
自分だけでは無理だと判断したのか、創は視線を相変わらず外に向けたままタウに問いかける。ふぇ、と情けない声を上げるタウだが、人よりも遥かに良い耳はおぼろげながらも方角を感じ取っていた。
「た、多分……、ここからまっすぐだと思う……。きょ、距離までは俺、わかんないけど」
タウの言葉を聞き、創はその足を雪原に踏み入れる。
「は、創っ!
何、どうしたのさっ!」
「誰かわからないけど、多分この雪と寒さで動けなくなったんだ。だから、助けを求めてる」
洞穴に入る前よりも、風と雪の勢いは強まっていた。もし創の言う通り誰かが動けなくなっているのだとしたら、ものの数分で凍死体に姿を変えるだろう。
「その人は死にたくないって思ってて、僕には助けるだけの力がある。だったら助けに行かなきゃ」
ド ォンン
不意に、空が光った。雲が一部薄くなった場所があり、そこがどうやら音と共に現れた光を反射したらしい。
音と閃光。それで距離を算出した創はタウを置いて駆け出す。止む雰囲気の無い雪は次々と足元に降り積もって体力を奪いにかかるが、創は構う事無く全力で前方二メートル先も見えない吹雪の中を駆けて行く。
「ハジメェ!!」
後方から置いていかれたタウの声が風の音に掻き消されながらも聞こえたが、創は構う事無く爆ぜる音の立った場所を目指していった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
息を切らした創は自身が算出した場所に辿り着き、せわしなく周囲を見回していた。あれから聞こえなくなってしまった爆音に嫌な考えが浮かんでしまうが、頭を振ってその考えを消し、何処かに手がかりが無いか辺りに注意を向け続ける。
「助けに来ました!
返事を、返事をして下さいッ!!」
息すらも凍りつくその空気で大声を上げるのは、肺を凍りつかせてしまう為に自殺行為であるにもかかわらず、創は喉を痛めながら叫ぶ。
絶対傍にいるはずで、ここまで来て助けられないという後悔にだけは襲われたくない。
その思いを抱きながらさらに一歩前に足を踏み出した。
ド ォン バァン
後方数メートルから耳を塞ぎたくなる、先程よりも強烈な爆音が鳴り響いた。
「これは……」
空に上がった、炎で円を描きつつ彩られた華に一瞬目を奪われるが、創は慌ててその華の下に駆け寄る。
空を見上げるよりも悪い視界に、黒い外套を羽織ったヒトの姿が映った。
「大丈夫ですかっ!」
銃
の様な物を握った腕を上空に向けた状態で、倒れていたヒトを抱き起こし、声をかける。ぅ、と小さな呻き声を上げたそのヒトの頬を軽く叩き意識を呼び起こそ
うとするが、身体は半分凍傷になりかけていて一刻を争うのが目に見て取れた。早く火の傍で体を温めないと間に合わないことを悟った創は、周囲に散らばって
いた行き倒れの者の荷物を出来るだけ拾い、全てその決して大きくはない身体に背負った。重量過多であるのを承知で雪に沈む足を一歩一歩進める。
そこに、何かが駆け寄る音が彼の耳に入った。
「ハジメッ!」
「タウッ!?」
輝きを放ちながら、洞穴に置いてきたはずのタウが駆け寄ってくる。
「バカっ!
助けても創が死んだら意味が無いんだからねっ!」
創の臭いを追ってひたすら走ってきたのだろう。舌を出して息を切らすタウは、その身体で創が持っていた荷物を自身の背中に乗せるように言った。
「早く戻ろう!
助けに来てそのまま死ぬなんてバカな真似、俺が許さないからねっ!」
「そうだね。ありがとう、タウ」
小さく呼吸を繰り返す背中の存在を確かめ、創はタウと共に先程の洞穴を目指して歩を進めた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
パチ、と弾ける火花の元でずぶ濡れになった身体を温めながら、創はタウの身体を拭いてやっていた。既に運んできた者の身体は拭き終わり、呼吸が安定したのを確認してからようやく彼らは一息を吐く。
「……このヒト、人じゃないね……」
「そう、だね」
黒の外套に身を包んだ身体を拭く為に服を脱がした彼らは、その姿に一時目を疑った。身長や体のつくりからそのヒトが男であることを知った為、躊躇無く脱がした先にあったのは、人ではない体だった。
全身は毛皮で包まれ、外套と同じ色の布で覆っていた顔は、タウに似た――
「俺、はじめて見たよ。俺とおんなじ様なヒト」
――獣の顔だった。
「このヒト、俺とおんなじこの世代生まれなのかな?
でも、年齢的には“旧時代”のヒトだよね?」
以
前、彼等が生きる世界がニホンと呼ばれていた頃。世界はこれほど厳しい世界ではなく、人間が大勢生活をしていた。それが、タウの言う“旧時代”。突如起
こった原因不明の爆発は、ニホンを中心に世界全てを巻き込み、今は“旧時代”から生存を続けている生物など、ほとんどいない。
それは、『人間』を含めて。
う、と呻き声を上げ、彼らの横で眠っていた男が目を覚ます。うっすらと瞳を開け、鋭利に伸びた爪を持った手で自身の額を抑えた。
「コ……コは……」
外見からは想像し難い温かな声を上げ、彼は意識を取り戻し、近づいてきた影に痛む身体を無理させて起こす。
「……お久しぶりです……リフさん」
「……き、みは……」
本調子には程遠い思考回路を動かし、声をかけてきた創の顔をまじまじと見つめる彼は、創の互い違いの瞳を見つめて不審げに細めていた瞳を大きく開いた。
「まさか……創君ッ!?
そうだ、その目を間違えるわけが無いッ! そうなんだね!」
「はい。良かった……助けることが出来て……」
「何?
創、そのヒト知ってたの?」
知り合いだったらしい事をようやく知ったタウをおいて、二人は数年ぶりの再開を果たした。
創が助けたリフという青年は、創がもっと幼い頃に出会った、言わば旧友の様なものだ。
「ボクが会った時は小さかったのに……。大きくなったね~」
熱に浮かされた顔をしながらも、その獣の顔で微笑みを浮かべたリフに、創は手を貸して再び横にする。
「もう、だいぶ昔になっちゃうんですよね。僕なんかまだまだ子供の頃ですし」
今でもまだ十分大人とは呼べない年齢である創はそう微笑み、懐かしそうに目を細めた。
「あれ?
創君……。その……チサト、さんは……?」
辺りを見回し、そこに創と見知らぬ獣の姿を目にした彼は、ふとそう呟く。
――どうせ外の見回りにでも行っているのだろう――そんな思いで。
「……ません」
「……え?」
「一緒には……いません」
先程までリフの顔を眺めていた創だったが、その話題になった途端に俯き、それきり黙ってしまう。
「そんな、なん……で……?」
呆然と呟くリフだが、彼も彼なりに目的を持って旅をしていたのだから、そう呟きたくなるのは当然であろう。
彼の旅の目的。それは――
「やっと、追付いたと思ったのに……」
――『チサト』という女性に再び巡り会う為なのだから。
脱力してその両眼を掌で覆ったリフに創は何も言うことができず、彼と自分の旅の目的が一緒である事を疲れきった頭で理解し、リフと別れてから今まで何があったかをどう説明していくかに思考を巡らしていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
翌朝になると雪と風はだいぶ穏やかになり、リフ自身も体力的な面では回復して、早くも外を歩き回れるようになっていた。しかし、やはり創とチサトが別行動になっていたという事実はショックだったらしく、時折深い溜息を吐いていた。
「……じゃあ、チサトさんが何で離れていったのかも、全く見当がつかないんだね?」
昨晩リフに今までの事を話しておいた創は昼でも暗い空を見上げながら首肯する。
「ということは、何かしらチサトさんに考えがあるわけだ」
創
が回収してきた自分の荷物を纏めながらリフは呟き、最後まで放さなかった異様に口径の広い銃を手にした。昨日彼が打ち上げていたモノはやはりその代物から
打ち上げられていた様で、先の様な救命以外にも様々用途があるらしい。カチャカチャと手入れを始めたリフの横でタウは物珍しそうにじっと眺めており、傍に
転がっていた黒いピンポン球大の球体に目をつけた。
「ねー、これなにー?」
「ッ!? 触っちゃ駄目だっ!」
前足で転がそうとしていたタウから慌てて引き離すようにその球体を拾い上げる。
「そ、そんなにしなくたって、乱暴になんかしないよ……」
「あ、そんなつもりじゃなくってね?
これ、火薬の塊だから」
はは、と引きつった笑いを漏らすリフの横で、創はその掌に収まってしまう小さな球体をまじまじと見つめ、タウはタウで自身のしようとしていた事の怖ろしさに身を固めていた。
「ソレ、昨日のアレですか?」
「え、あぁそうだよ。創君は知ってるかな?
昔は『花火』なんて言われていた様な物の簡易版だよ」
どうやらそれは黒い紙で包んであるらしく、タウが前足を乗せていたら簡単に暴発していただろう。
リフは相変わらず固い笑みを浮かべていたが、創が興味を示しているので簡単に概要を説明する。
「様はね、この球体の中に火薬が詰まってるんだけど、ここに伸びてる導火線に火を点けて打ち上げるわけ。まぁ、この拳砲専用に作ってるけど、ちょっとした手榴弾にもなるね」
ちなみに火は打ち上げた後に点く様に細工してるんだ、と話しながら手元に光る拳砲と呼んだ、通常の拳銃の大きさでいながら何倍もの口径をしたソレを一回転させたリフは、徐に『花火』を拳砲にセットする。
「ちなみに、コレを扱えるのは“旧時代”でも今のボクしかいないよ。普通の人には反動やら何やらが強すぎて骨の一本や二本じゃすまないからね」
何をするのだろう、と観察していると、リフは創に耳栓を渡し、タウの耳を塞ぐようにと指示をした。
「創君と再会できた記念。タウ君に出会えた記念。チサトさんが無事でいる事を祈り――」
拳砲を握った腕が、相変わらず厚い雲の続く空に伸びる。
「――そして、これからのボク達の旅路を想いっ!」
引き金が、引かれる。
ドン、などと言うそんな甘い擬音語では収まらない程の爆音と共に、火薬の爆ぜる臭いと何かが上空に上がる音。
そして、次の瞬間。
バ ァァ ンッ
「わぁ……」
白い雪か灰色の雲しか無かった世界に、
淡青色の華が咲いた。
それは、もう見る事の出来ない若草の色か。
それとも全ての命を育んでいた海の色か。
鮮やか且つ柔らかな色彩は、真下から見る彼らに真円を描き、ゆっくりとゆっくりとその姿を消していった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――其の光は、儚き命か――
――其の声は、命の輝きか――
――其の散り様は、美しき物語か――
氷上に咲いた眩い華は、古来とは姿を変え、命を救っていた。
――了――