吹雪の中の温もりを
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――Do you cherish word ?――
――――I don’t know your question , but……――
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空は重苦しいほどの曇天が覆 い、既に見飽きたといっても過言ではない粉雪が舞い落ちてくる。白銀に埋め尽くされた道なき道に足跡を残しながら青年が一人、頭まですっぽりと覆ったコー トの裾を握りながら黙々と歩き続けていた。せめてもの救いは、風が穏やかである為にそれほど熱を奪い取られないことだろうか。ふと足を止め、青年は視界の はっきりしない歩むべき先を凝視していた。
「…… そろそろ、吹雪くか……」
そ う呟き、彼は傍に在った半壊している建物の中へと入っていく。
今、世界に節季は失われていた。
荒廃した大地の上に、何年止まぬと知れぬ雪が降り積もり、それが氷 の大地となって世界を覆いつくしている。
原 因不明の高エネルギー爆発により、ニホンの首都は壊滅を通り越し、消滅した。勿論、被害は首都に留まらず、ニホンそのものが全壊したといっても過言ではな いだろう。外界との交信が完全に絶たれ、尚且つ、外界からのコンタクトも無いことから推測されるのは、ニホン全土を破壊した爆発は、世界そのものを壊滅に 押しやったのだろう。
それも、既に十数年も前の話だ。辛うじて生き残った人々はその知恵 を駆使して生き残る策を考え、人ほど知恵を持たない動植物は、その生態系、身体そのものを劇的に変化させていった。
いつが『昼』でいつが『夜』なのか。かろうじて届く陽光だけがそれ を認識させ、白面の地面がその少ない陽光を反射させて光り輝く時こそが、『昼』だという認識の仕方を人々は持っていた。それから考えるに今は『昼』。薄暗 い曇天の中、次第に風が辺りを吹き流し始めていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
半壊した建物の中で、青年は湿り気を帯びていない枯れ木を見つけて きたのか、焚き火を行っていた。ただでさえ薄暗い中、建物の内部は闇と言っても良い位だが、今は焚き火のおかげで外よりも暖かな光が灯っている。
脱いだコートを乾かす為に火へと近づけ、彼はそこで大きく息を吐い た。
「いつまでついてくる気なんだい?」
言葉自体は他者に対する投げかけの言葉だが、彼の周りに人の気配は 無い。いや、人どころか生物の気配すらなかった。しかし、それでも彼は自身の通ってきた暗闇を見据えて、問いかけた相手が出てくるのを待っている。
ふと、暗闇の片隅が動いた。
現れたのは四足歩行の獣で、その身体は普通ではないぐらいに大き い。座っている青年の横で同じ様に腰掛けると、耳が彼の頭を越えてしまう位だ。
「自分の縄張りがあったのにそれを捨ててまでついてくるなん て……。今からでも遅くは無いから、戻りな?」
苦笑混じりに、青年は近づいてきたその大きな獣の頭を怖がることな く撫で、その獣の瞳を見つめる。
その獣は、数日前に怪我しているところを見つけて青年が手当てをし てやった、見知った獣だった。
獣の身体はただ大きいだけでなく、その瞳や毛並みも普通のものでは ない。瞳は輝く金色で、その毛並みは彼らが知るはずも無い春の太陽のように、淡く輝いて見えた。
「ついてきても何も楽しいことは無い。……それと、もし僕を食べよ うとか考えてるなら、それもやめておくんだね。どれだけ強くても、僕には勝てない」
不敵な笑みを見せて彼は獣から手を離すと、懐から何やら干からびた 物を取り出し、獣の口に咥えさせた。
「ここまで来るのに、何も食べてなかったんだろう? 少ししか分けられないけど、それ食べたらホントに 帰りな?」
どうやら、極寒の世界で生きている生物の干物らしい。同じものを彼 も口にしながら、それから数分互いに沈黙する時間が過ぎていった。
ふと、獣が動き青年の正面に座る。そして、その金色の瞳を真っ直ぐ 青年の色違いの瞳に合わせた。
「俺、何処までもついてくよ。だって、創が 好きだから。それしか、今は考えられないから……」
肉食獣特有の鋭く尖った犬歯を見せながら獣が口を開閉すると、何処 からか声変わり前の少年の声がして、建物の中に小さく反響した。
「俺、もっと創のことが知りたい。創と一緒にいたい。創が俺のこと 助けてくれたみたいに、俺も創の助けになりたい……。それでも、駄目なのか?」
再び、同じ声。
間違いなく、青年の目の前にいる獣が喋っている。
「それに、創は名前を教えてくれた。名前が無かった俺に、名前を付 けてくれた。それは、もう見ず知らずの関係じゃないだろ? だから、俺は創についてく」
獣に名を呼ばれ、青年は少し眉を顰め るが、気を悪くした素振りではなかった。言うならば――
「困ったな……」
――困っていた。
「君を助けたのは、たまたま僕が通った道に蹲っていたからだし、こ れからも僕はずっと一人で旅をしていくつもりだから、二人分の食料なんか用意してない。名前をつけたっていうけど、それも便宜上の問題だったからだけだし ね」
溜息を吐き、青年は獣から視線を逸らした。
「飯なら、今貰った奴で七回の朝と夜は平気だよ?」
逸らされた視線を合わせるように、獣は首を傾げる。
「そ、それに、君みたいに大きな身体をした獣が一緒だと、集落の中 に入れてもらえなくなっちゃうかもしれないし……」
「なら、これなら?」
不意に獣の身体から淡い光が溢れ、その眩しさに創は瞳を閉じ、光が 収まったのを瞼越しに感じてからそのオッドアイを開いた。
「これでも、駄目……?」
そこには、先程の大きな獣の姿は無かった。あるのは、十二、三ぐら いの年頃と思われる、獣の耳と尾をつけた少年の姿だった。
「……君、相当特殊な種族だね……。まぁ、喋るって所でも十分凄い とは思ってたんだけど……」
再び、はぁ、と溜息。
それを聞いて、獣だった少年は不安そうに顔を歪ませて創の膝に手を 置いた。
「邪魔にならないって約束する。だから、一緒にいてもいいだろ?」
真摯な瞳で見つめられ、創は思わず少年の頭を撫でてしまう。そし て、意を決し、口を開いた。
「……わかった。ついてきてもいいよ」
「ホントに?!」
撫でられていた頭を勢いよく持ち上げ、苦笑混じりに創が頷き返すの を見た少年は、そのまま彼に向かって飛びついた。
「創、やっぱり優しい!!」 「うわ、っとと?!」
何とか受け止め、じゃれついてくる少年に苦笑いを深めながら、創は 彼を引き剥がす。
「でも、その代わり僕の言うことは絶対だよ? それが出来ないなら、ここで置いてくから」
人差し指を立てて言い聞かせると、その都度真剣な面持ちを幾度も頷 かせる少年に内心で再び苦笑しつつ、創はふと外の音に耳を傾けた。
聞こえてきたのは、荒々しい音を立てる風の声だった。
「……強くなってきたね。今日はここで泊まりかな」
両腕を伸ばし、それまではまだ先に進もうと考えていたことを改め て、彼は火に近寄った。
「創。今日はもういいの? 何かあるから旅してるんじゃないの?」
彼の隣に大人しく腰を落ち着け、少年はまた小首を傾げる。その仕草 に微笑むと、青年は口を開いた。
「今日無理して進んで見つかるようだったら、僕はもう幾らでも先に 進んでる。でも、無駄だって知ってるからやらないんだ。だから、少しでも生き延びてちょっとずつでも近づけるようにしたいんだ。いつかきっと、追いつくた めにも……」
何を、とは言わない。誰を、なのかも知れない。
しかし、少年は口を挟まず、ただじっと黙って聞いている。ただその 金色の瞳を向けて、彼の話す一語一句を聞き漏らさないように耳を立てる。その様子に気づき、創は瞳を閉じながら話し始めた。
「僕がこうして旅するのは、僕を育ててくれた人を探すためなん だ。……その人は、世界がこんな風になってからずっと僕の傍にいてくれて、僕に世界の広さを教えてくれた。まだ集落もろくに造られていないような頃だよ? そんな皆が生きることで精一杯の中を、あの人は幼 かった僕を連れてひたすら世界を見せてくれたんだ」
徐に彼は自分のバッグの中から、錆付いたナイフを取り出した。
「強かったんだ、その人……」
パチ、と火花が弾け、創は新たな枯れ木を火の中にくべる。
「強 かったよ。そういった体術も強かったけど、何より精神力が。だって、風が強すぎて視界が一メートル先すらも見えないような中なのに、絶対死ぬつもりじゃな かったんだ。頬に氷が張り付いて、倒れたらその時点で凍死するっていうような中で、その人は絶対に諦めたりしなかった。……ただ、感情を表に出すのが下手 だったから、僕を慰めるのは下手くそだったけどね」
その時のことを思い出したのか、クスクスと笑いながら創は少年に手 に持ったナイフを渡す。
「チサトっていう人だったんだ。……二年前、急にいなくなっちゃっ て。それからずっと僕は彼女を探してる……」
渡されたナイフは錆付いてるだけでなく、少し力を加えれば折れてし まえそうなほど脆くなっていた。少年は気をつけながら刀身を指でなぞり、創の想いが詰まったナイフを観察する。
「金属って良く分からないけど、凄く使い込んである……気がする。 それと、凄く色んなキモチが詰まってる……そんな感じがする」
そう呟き、彼はナイフを創に返した。
「その人を、探すために創は旅して、見つかるまで続ける気なんだ」
「何か嬉しそうだけど、面白いところでもあった?」
しんみりと呟きながらも、少年の顔が綻んでいるのを見て創が問う と、彼はその顔を伏せてしまい、話そうとしない。
「……教えてくれないの?」
「……だって、何か恥ずかしい……」
外の風音で消されてしまいそうな呟きを聞き、創は顎に手を当ててほ んの一言だけ口にする。
「タウ」
自分が与えた、少年の名を。
それに応えるように、ピクリ、と少年の耳が動いた。
「タウ。教えてよ。君が僕のことを知りたいって言ったように、僕も 君の気持ちが知りたい」
俯く少年の頭に手をのせて、創はさらに続ける。
「一緒にいたいんでしょ? なら、教えてよ。誰も君のことを馬鹿にしたりしないし、嘲笑ったり しない。タウの言いたいこと、思ったことは、僕に教えて?」
その言葉に、少年がゆっくりと頭を上げる。創の服の裾を握り締めな がら、頬を紅潮させてぼそりと呟いた。
「……創の、知らない部分が分かったから……。ただ、それだけなん だけど……。何か、嬉しかった……」
言いきった後にまた顔を俯け、真っ赤になった顔を見られないように するが、髪から垣間見える頬が鴇色に染まっているのを創が目にした時点で少年の感情はばれてしまっている。
無言で微笑み、創は乗せていた手を優しく動かして少年の髪を梳きつ つ、ふと彼に問いかけた。
「ねぇ、タウ? タウは、『タウ』って名前、気に入ってるの?」
自分が与えた名。しかし、それは彼の了承を得てつけた名ではないこ とを思い出したのだ。
「さっきも言ったように、君の名前は便宜上つけた名前だから。気に 入らないんだったら別の名前考えるよ?」
創の言葉に、タウは顔を上げる。
「何で、そんなこと言うの?」
その金色の瞳には、涙が浮かんでいた。
「俺は、『タウ』って名前、好きだよ? だって、創が付けてくれた名前だもん。創がくれた から、だから俺は自分のことを『タウ』だってわかるんだよ? それなのに……。なんで、変えるとか言うの……? そんな簡単に、名前って変えていいものじゃない よ……」
顔をくしゃくしゃにしながら、タウは涙を零す。
「俺の名前は、『タウ』以外にあるの? あるものなの? それ以外に無いよね? ……無いって、言ってよ……」
軽い気持ちだった。
気に入ってなかったら、お互い嫌な思いをすると思っただけだった。
しかし、タウには泣くほど悲しい言葉だった。
それが心苦しく。
創は泣き止まないタウの頬に触れて、その涙を拭ってやった。
「ごめん、軽率だったね。タウは『タウ』だよ。それ以外に無い。だ から、もう泣かないで、笑ってみせて」
しゃくりあげるタウを軽く抱き、落ち着かせるようにその背中を撫で る。
泣き止むまで。
自分の本心がちゃんと彼に伝わるまで。
創は、まだ幼い少年の背中を撫で続けた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
辺りがさらに暗くなり、夜の始まりを告げていた。昼よりも寒い、極 寒の時間が訪れる。
創とタウは、ただ無言で火に当たっていた。涙だけでなく、鼻水まで 垂らしたタウは体中の水分が減った気がして動く気にならず、創はその鼻水をつけられた上着を洗って着替えていた。
「……あの、創……?」
膝を抱き寄せて座っていたタウが、洗った服を干している創に声をか ける。
「その……。服、汚しちゃって、ゴメンナサイ……」
恥じる素振りを見せて言葉を紡ぐタウを見て、創はその端正な顔に笑 みを浮かべて見せた。
「怒ってないから、そんなこと言わないで。そもそもは、僕が悪いん だし」
「でも……、創の服、汚しちゃったし……」
自分のせいで手間をかけさせることになってしまったことを悔いてい るのか、呟く彼の耳は下を向いている。そんな彼の後ろに移動して、創は覆い被さるようにタウを抱きしめた。
「創?」「こうしてると、何だか安心するでしょ? だから、もう謝んなくていいから、笑ってよ」
前に回された腕を掴み、タウは頷くわけでもなくじっとしている。創 も、ただ瞳を閉じて彼を抱きしめ続けた。
どれくらいそうしていただろうか。ふと創が瞳を開いてタウを覗き込 むと、そこには穏やかな寝息を立てて眠る彼がいた。
「……ごめんね……」
ポツリと、創はタウを腕の中に包んだまま呟く。これほどまでに自分 を慕い、ついて来るといった者は初めてだった。
戸惑い、嬉しさ――。
感情が渦巻いて自分がどう感じているのか分からないが、一つだけ確 信していることがあった。
「泣かせちゃって、ごめんね……」
自分の与えた名。ほんの短い間に呼びかけるためだけの言葉のつもり だったのに、彼にとっては大きな意味を持つ言葉となっていた。それに気づかず、彼を傷つけ、それでも自分の腕の中で眠る少年は自分についてくる気持ちを変 えていない。
――意志の強さ。
白銀の大地しかなくなった世界でいつまでも生き残る者は、意志の強 い、諦めない者達だ。
『生きる』といった意志を持ち、そのために考え行動する者だ。
「タウも、十分強いよ。チサトの名前から取っただけある。……気に 入ってくれて、ありがとう、タウ……」
眠っている彼の耳元で囁くと、擽ったそうに身動ぎをして、創の腕を 掴んでいた手を今度は服の裾へと移す。決して離れない。そう、訴えるかのように。
「『タウ』って言う名前は、今はもう必要の無い外国語の『千』の 『ハジメ』を取ったんだよ。……だから『タウ』は、『ハジメ』と『セン』を含んだ名前なんだ……」
Tausent、と創は滑らかに口にす る。
「チサトから教えて貰った、唯一の外国語。たった一つの名前。…… 気に入ってくれて、ありがとう……」
瞳を閉じ、創はタウと同じ様に眠りにつこうとする。
――久々に感じる他人の体温は、涙が出そうなほどに温かかった――
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――吹き荒むは風花。
――鳴り止まぬは玉風。
――人のいない大地を、
――癒し無く蹂躙す。
――されどされど、
――其は美しき光景にて。
――黒無き世界は、
――愛し者を想い起こさせ。
――全て白に埋めつくさんとす。
――光薄き白銀の夜は、
――誰のものとも知らざらんや。
――了――