哀想・愛想

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ヒトハ死ンダラ

何処ヘ行クノカ

何モ知ラナイ無知ナ者ハ

 

タダ、哀レ

 

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ふと振り返り見ても、そこに広がるのは視界の悪い雪原で。凶悪なま でに凍える風は容赦なく辺りを吹きさらしていた。

(……これは……)

吹雪に耐える集落の中に佇む影が一つ。暴風に外套を靡かせ、その人 影は集落の静けさに違和感を覚えてその歩みを止めていた。雪が次第に氷へと移り変わりつつあり、フード越しに当たる雹が冷えて過敏になっている頬を打ち、 彼は傍にあった洞穴へと足を運ぶ。

「すみません。どなたか、いらっしゃいますか」

住居区域として使用されているはずの洞穴からはしかし返答が無く、 顔全体を布で覆っている彼は不審がりながらも奥へと足を進めた。

暗い。

まず彼が得た印象はそれだった。本来ならば火を点して洞穴内を暖め ているはずのその空間は、何の気配すらなくただ闇を広げている。そして、火を灯していないという事は即ち暖をとる事も出来ないという事で。

「どなたか、いらっしゃいませんか?」

再び彼は声をかけるが、それに反応する気配は無く。外から唸り声を 上げる風の音だけがその洞穴で響いていた。

ふと、壁伝いに歩いていた彼の足に何か硬いものが触れ、彼は膝を 折ってその躓いたものを視界に捉える。

「っうわッ……!」

ソレが何なのかをおぼろげな視界で判断し、彼は慌ててソレから飛び 退ると、荒くなった息を抑える為に自分の胸に手を当てた。

「そうか、この村は……」

口にするのを憚る様に彼はそこで口を噤み、離れた位置から床に転が るソレを見つめ直す。

 

ソレは、少年の死体だった。

 

昔聞いた説話の中に、雪女の伝承があった。雪山に迷い込んだ人を誑 かし、氷漬けにしてしまうと言う、山を怖れていた人々の心根が良くわかる伝承だ。

今彼の目の前に転がるその死体は、まさしくその伝承に言い伝えられ てきた氷付けの死体だった。

「……こんな暗いところで、何も出来ずに死んでいったのか……」

動悸が治まった彼はポツリと呟き、口元の布を外して再びその死体に 近づく。

「何も出来ない僕だけど、君の為に祈ることは出来るよ……」

そっと、彼はうつ伏せに倒れていたその動かない少年を仰向けにする と、また動き出すのではないかと思えるその腐る気配の無い身体に触れた。

「……この世界を創りし、見知らぬ神よ。願わくは、この者に慈悲 を。是に、救いを。雪と風に舞わされしその御霊を、其の心にて救い給え……」

瞳を閉じ、冷たい身体に触れながら彼は祈りの言葉を捧げる。

 

目の前の少年が迷わない様に。

自分自身が惑わされない様に。

死者よりも、生き抜く為に。

 

数分、何も言わずに彼はじっと屍に触れていた。そして、緩慢な動作 で瞳を開いて触れていた手で少年の凍った髪を撫でる。

「お腹、すいていたんだよね……」

ガリガリに痩せ細った体躯。頬がこけて本来の顔が想像し難い顔立 ち。その全てを脳裏に焼き付け感じる為に、彼は幾度も動かない幼子の頭を撫でた。

 

◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

彼が洞穴を出る頃には風も収まり、深々と静寂の中を雪が降り注いで いた。全身を黒服で包んだ彼は、まだその口元に布を当てておらず、全てを凍結させる雲を見上げている。厚い雲の為に姿は見えないが、雪が反射する微弱な光 加減で今の時間は昼である事が認識できた。

「僕は、先に進みます」

誰に対してなのか。宣言をするが如く呟いた彼の顔が、雪明りに照ら されてその表情が明らかとなる。

 

その、獣の顔が。

 

数年前に起きた、世界の変動。彼は、その被害者であり、自分の飼犬 と融合をしてしまった青年であった。時の流れに反する事無く、彼はその姿のままで成長し、今は育て親の元を離れて旅をしているのだ。

ハラハラと舞う雪は、彼の毛にまみれた顔に降り積もり、体温で溶け て頬を伝う。

それはまるで、涙を流している様で。

黙祷を捧げているのか、彼は数瞬瞳を閉じて風と共に勢いを強める雪 を甘んじて受け入れ、やがてその瞳を開き懐から黒布を取り出す。頬を伝っていた雫は既に凍りつき彼の顔を凍てつらせていたが、彼はそのまま黒布を口元に巻 きつけた。

「さようなら」

一言、彼は口にする。

誰もいない村に、決別をする為。

彼は、ゆっくりとその歩を前に進めた。周囲には雪と氷に包まれた不 自然な盛り上がりがあり、ソレが何であるのかを想像させるが、彼は歩みを止めない。

 

自分自身の為に。

ある人の為に。

想いの為に。

夢の為に。

想いを、

胸に。

ただ

道を

進む。

追つく。

彼の人に、

また逢う為。

それだけの為。

方法が無いから。

歩いて追い続ける。

そして彼の人に追付き

認めてもらうのが、夢。

 

「チサトさん……」

追い求める彼の人の名を口にして、彼は薄く微笑んだ。その名を口に するだけで、温かくなる、とでも言わんばかりに。

彼が追い求める者は、何処にいるのか、生きているのかすらわからな い。それどころか、彼の記憶の中にある人物の姿は既に五年も前の姿であり。

擦れ違った時にお互い気づくかどうかも判らない。否、彼は気づいて も相手は記憶すら残していないかもしれない。

それでも。

獣顔の青年は、外套を自分に引き寄せて西に向かう。

「貴女に、逢いたいんです……」

呟いた言葉は吹雪に掻き消され、彼の歩む道もまた、氷雪で困難な道 となっていた。

それでも。

それでも。

彼は歩む。先を見据えて、別れを乗り越えて、死者の分も生き抜くと 心に誓って。

「雪と氷と風に願います。……どうか、僕に彼らの分の力を。そし て、彼らに冥福を……」

 

 

◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

――人ハ死ンダラ――

――何処ヘ行クノカ――

――ソレニ答エハ無ク――

――永遠(トワ)ニ知ル事無ク――

 

 

――ダカラコソ、ヒトハ神ニ祈ル――

 

 

――了――